茅葺き屋根の家 平成8年12月1日発行
茅葺き民家を守ろう:
多くの人の結集の力で
平成8年10月23日、出島村農村環境改善センターで再生「茨城茅舎の会」総会が開かれました。
「茅葺き民家が急速に姿を消しつつある。といわれるようになってすでに久しい。」と一色先生が新聞に投稿したのは今から23年前でした。現在、廻りの風景を見る時、茅葺き民家を探そうとすると1本脇道に入らないと見られなくなってしまいました。まだ、茅葺き民家が多かったときには「結(ゆい)」によって茅屋根が守られてきました。また、その新聞には「屋根替えの(結)の構成する範囲をこれまでの部落単唖から市町村単唖に、さらには全県を数ブロック単唖に拡げることを提案したい。」と書かれています。
昭和53年に重要文化財の所有者で「茅舎の会」が結成され茅葺き民家の維持と研修を為されてきました。全国で有数の茅葺き民家の宝庫である茨城県ですが、今、本当に茅葺き民家が消えつつあります。23年前に一色先生が提案された全県単唖の「結」を造り、茅葺き民家を守っていきたいのです。その事を「茅舎の会」の会員に相談しましたところ快く受け入れてくれました。再生「茅舎の会」を家や屋根を守る「結」の核として活動していきたいと思います。
「茅舎の会」
再出発に寄せて
朝もやに浮かぶ重厚な茅屋根。葺き終えた直後の光輝く茅屋根。この景観は心を病んだ現代人に、無限の安らぎを与えてくれます。
戦後五十年。それこそ様々なことがありました。ある高名な経済学者などは茅屋根の残る地域は経済と文化の発展から取り残されたところ、などと得意気に公言していたものです。現実はそうではなかったのです。今となっては、茅屋根こそは豊かさの表現であることに疑問を持つ人はいなくなりました。これからの日本のあり方に想いを巡らす時、茅屋根を維持するという作業の中で、どの唖の汗の裏を流し合えるかが、いかに重要であるか、それこそ計り知れないほどの価値があると考えたいものです。
代表的日本人として、欧米人が高く評価する二宮尊徳翁は、天保の大飢饉の時に荒廃した農村復興の指導を依頼された時に、現地に足を入れる前に、まず地元としてやるべき事として、生い茂る茅を刈り取り、鎮守様の屋根を修理するように指示しました。共帳の目的のもとで汗を流すことの大切さを身体で知ることが何よりの出発点となることを教えたのでした。翁はこれを「心田の開発」と申しました。何と素晴らしい教えではありませんか。私達もそろそろ、モノよりもココロを大切にしましょう、などという意味不明な言葉を捨てたいものです。先人の残してくれたモノに、先人のココロを読み取る時期が来たのです。
古代中国人は、いみじくも玩物喪志、玩人喪徳と申しました。モノをもて遊べば心を失う、人をもて遊べば徳を失う、のです。そして知るは楽しみなり、と言う表現も現代日本人特有の勝手気ままによるものです。古人は、知るは好むに如かず、好むは楽しむに如かず、と申されたのです。
イギリスの名宰相、チャーチル氏は、人は家をつくり、家は人をつくる、と云いました。これもまた名言です。
これまでの私達は、茅屋根の難点ばかりをあげつらい過ぎたようです。すぐれた点を結びつけるように心掛けたいものです。その為には各人各様の想いこそが大切になります。長寿社会・生涯学習の時代の中での茅屋根。そこに新しい価値観を共有しようではありませんか。
本会は昭和五十三年五月、県内の国指定重要文化財民家の所有者の研修と親睦を目的に発足しました。全国に例のない会として高い評価を受けましたが、時代背景も大きく変わりました。この平成八年春には、建造物の登録文化財制度導入が国会で決まりました。文化財というとコチコチに固いという印象を与えてきたことの反省もあったに違いありません。民族の誇りとしての貴重な歴史遺産の保存と活用にはやはり多くの方々の知恵を必要とすることにようやく気づいた、ということでしょう。
イギリスの偉大な民間団体、ナショナル・トラストがこの百年の間に歴史的遺産・自然環境の保存と活用に旺たした役割は本当に素晴らしいものです。そのモットーは、一人から一万ポンドよりも一万人から一ポンドの浄財を、というものです。本会もその精神で進もうではありませんか。
一休禅師の句をご紹介しましょう。
平成八年十月
建築文化史家 一色史彦
バブルがはじけて
岩間町の塙でございます。茨城茅舎の会の会長を引き受けてまだ4、5年ですが本日このような会を設けられて有り難うございます。
茅舎の会が発足して約20年になります。最初の会長さんが八郷町の羽生さんです。残念ながら3年前に火事で焼失してしまいました。笠間市の太田家も川崎市の日本民家園に移築されましたがこれも5年前に焼失してしまいました。大変貴重な民家が2軒なくなってしまいました。本当に火事は恐ろしい、一番恐ろしいのは火事です。きれいになくなります。地震もこわいですが全部はなくなりません。いかに火が大事か、そして用心しなければなりません。すべての資料も、家財も全てなくなります。皆さんもくれぐれも今後とも火災には気をつけて戴きたいと考えるしだいであります。
それで、20年前に土浦の建築文化史家の一色史彦先生が主体でもって茨城茅舎の会を作ったわけです。その時の会長は八郷町の羽生さんでありまして、その後、二代目が神栖町の山本文夫さん、そして三代目に私がなりまして、新利根村の平井さん、出島村の椎名さん、内原町の中崎さん、それと国の史蹟指定されている佐久良東雄生家の飯島富恵さん、移築された旧飛田家住宅を管理している古河市が入っております。それで結成したのでございです。その以外に、国指定でつくば市の大塚さん、水海道市の坂野さんは会に入らないが会の外側から協力をすると言うことでございます。それで約20年が経ったわけです。このような会はまことに日本でもただ一つでございます。大変意義があることでした。、ひとつの古い形態を残そう、文化を残そう、ということは大変な仕事でございました。一年に一回会員宅に集まり、いろいろな悩み事を打ち明けたり、一緒に県内外の文化財を見学に行ったり、研修などいたしました。
近頃、思いますに早いと言いますか、まあ、やっとバブル景気から抜け出しまして皆さんの気持ちが、バブル期の異常な事態から本当の日本人の姿に戻ったのだと思います。不景気だ、不景気だといいますが本当の不景気は昭和9年、10年の頃だと思います。現在の不景気など不景気ではありません。あの頃、東北では若い娘を売ったり、子供を丁稚に出したり、食うものなく、米もやっと食っていました。ものすごい借金をしたものです。私の家でもその頃、茨城農工銀行から2千円も借金しております。保証人30人もありました。あの昭和恐慌を考えれば、今は不景気などではありません。これが当たり前なのです。今までは異常なバブル景気だったのです。これからは足を地につけて、そして過去を振り返り、現状を見て、将来を考え、私達が本当に一歩一歩踏みしめて行く新しい時代が来たのだ。あるいは文化蔓、あらゆる蔓で日本の国の生き方は相当変わるのではないか、ある人に言わせると平成の大維新、明治維新以来の大変革など言われています。そのくらい重大な変革期にさしかかっています。私達一人一人、十分監視して、ゆっくりあわてないでそしてどっしりと地に足をつけて、腰をすえて、これからの新しい日本の生き方を探る。一億二千万の大和民族も今は過渡期であり、これからも動揺することが過度ありますが、将来はますます発展するだろうと思っています。我々は死にますが子孫、何代、何十代、日本民族はますます栄えるだろうと私は信じております。
この7月、突然一色先生が来られまして「最近、茅舎の会を20年やってきたがもう、当初の会員も代替わりで半分はご子息の世代になりました。それで一年に一回集まって旅行に行く事もなかなか出来なくなりました。」努力しないから出来ないと言われればそうなのございますが、我々が作った時の意気込みは、20年前のまだ若かった時の勢いがなくなりました。時の流れ、時代の流れと言いますか。「それで、検討したのですが、折角茅舎の会を作ったのだから、新しい形で、日本一民家の多い県の茅葺き民家を応援するために再出発しようではありませんか」、誠に結構な話で我々は考えてもいなかったし、一色先生や松浦さんが何とかするからと言う要請もございましたし、そう言うことならと私からもお願いした次第です。
熱_漢の一色先生や松浦さんが中心になって新しい志、新しい仲間の茅舎の会、茨城県にはまだまだある茅葺き民家、それからその土地の風景、しきたり、茨城県は南と北では大変な違いがあります。皆さんの暖かい心からの御支援をいただいて、我々は出来るだけ民家を保護していきます。
茨城茅舎の会を一つの形にして、そしてこれから皆さんの暖かい気持ちと熱意を結集していただいて新しい組織の元で本当の民家を愛する会を作って、応援して戴きたいと思っています。温故知新と言う言葉があります。古きをたずねて新しきを知ると言う精神を基本と致しまして会を進めたいと思います。
皆さんが遠いところから、色々な方が、優秀な方があるいは多忙の所を集まって戴きましたがこういう趣旨でありますから、十二分に談論風発してまさに自分の考えているところを出していただいて、この会が何とか形をつくって、将来、大きな展望を開いて戴きたいと思います。皆さんよろしくお願いいたします。
の暖かい心からの御支援をいただいて、我々は出来るだけ民家を保護していきます。
茨城茅舎の会を一つの形にして、そしてこれから皆さんの暖かい気持ちと熱意を結集していただいて新しい組織の元で本当の民家を愛する会を作って、応援して戴きたいと思っています。温故知新と言う言葉があります。古きをたずねて新しきを知ると言う精神を基本と致しまして会を進めたいと思います。
皆さんが遠いところから、色々な方が、優秀な方があるいは多忙の所を集まって戴きましたがこういう趣旨でありますから、十二分に談論風発してまさに自分の考えているところを出していただいて、この会が何とか形をつくって、将来、大きな展望を開いて戴きたいと思います。皆さんよろしくお願いいたします。