茅葺き屋根の家   平成8年10月23日発行

茅葺き民家を守ろう

古い民家の保存

美しい茅葺き

近代建築とうてい及ばぬ

むずかしい保存、個人ではとても 

 茅葺(かやぶ)きの民家が急速に姿を消しつつある。といわれるようになってからすでに久しい。しかし、周囲に目を向ければまだまだ、茅葺きの屋根は残っていることに気づかれるだろう。絶滅の危機というよりもむしろ、そのねばり強い生命力を評価すべきではなかろうか。カラートタンやコンクリートの家のけばけばしさにくらべてその存在は目立たないけれども、農村の風景の中にしっかりと根を下ろしている。葺き替えたばかりのまばゆいほどの美しさ。古びて苔(こけ)むした、どっしりとした重量感。雨露を含んで黒光りした姿もよいし、雨上りの朝日をあびてもうもうと湯気を立てているのもよい。それは近代の建築材料では到底手にることができなかったものである。民家の美しさについては誰も否定しない。古い民家を保存したいものだ、とも人々はいう。
 しかし、一方そこに住んでいる人達は、茅屋根の維持がきわめて困難である、生活に不便だ、という。
 (後者については、主観的な好みが入るから一概にはいえないが、夏涼しくて、冬暖かだから住み良い、という人も多い。建築家としての立場からはこちらの肩を持ちたい。茅葺きの民家に育った人にとっては、コンクリートのひんやりとした感触はとても耐えられないだろう)。
 自分の代だけはなんとかやれるが、子供の代にはおそらくこわされるだろう、ともいう。いずれにしても遠からず個人的な努力ではどうしようもな<なることは目に見えている。「カヤデ」(茅葺き職人)がいない、茅山がなくなったというのがそのおもな理由である。したがって葺き替えには大金が必要になる。しかも茅葺きの伝統的な木造住宅は地震に弱い、火事がこわい、などと決めつける建築基準法、消防法などという厄介なほうりつもある。
 古い民家の保存を語るには、これらの問題を真剣に考えねばなるまい。
 古い民家がどのようにして造られ、どのようにして維持されてきたのだろうか、物事の順序としてこの点に触れておきたい。
 家を建てる苦労は昔も今も変わりはない。古い家には、「普請帳」あるいは「普請諸入用控」というものが残っていることがある。普請にかかった諸経費をことこまかに記録したものである。たとえば、ある人は茅十束を、またある人は荒縄五束、竹十本、あるいはなにがしかの金銭、というふうに、多数の人々がわずかながらでも材料を持ちよって普請に協力した例もある。すべてを現金でまかなおうとすれば相当の出費になる。普請はともか<、屋根の葺き替えは三十年位おきにやらなければならない。そこで昔の人は、「結」(ユイ、県内ではヨイと呼ぶ所が多い)という、うまい方法を考えだした。田植え・刈り入れ・普請・屋根替えなどの労働力を大量に、しかも集中的に必要とする作業には、労働力を相互に提供しあうのである。
 この「結」がなかったならば、民家を造り、維持することはまったく不可能であった、といってもよい。すなわち、民家と「結」を切り離しては考えられないのである。しかし、農村における「結」の崩壊は急速である。農作業の機械化が進む、茅屋根はトタンをかぶせたり瓦屋根になる。新しい住民が農村に流れ込む、これらの現象はいずれも「結」存続を困難にする。なぜなら「結」は労働力の相互提供が原則であり、もしもそれが出来ない場合には金銭で応えなければならないのである。その「結」が消滅してしまった地域では茅屋根の維持に大金が必要とされるゆえんである。   
 屋根替えについては、もはや以前のような部落的スケールの「結」は成り立ちにくいと考えざるを得ない。茅葺きの民家に住んでいる人も部落の中で数少なくなってしまった。そこで屋根替えの「結」を構成する範囲をこれまでの部落単位から市町村の単位へ、さらには全県を数ブロックに分けた位の単位にまで広げることを提案したい。それは、交通機関の発達した時代に合った考え方である。これに参加するのは、まず古い民家に住み、それに限りない愛着を持つ人であり、同じ茅屋根に住んでいるということに共感を持ちうる人でなければならない。燃えやすく、また腐敗しやすいと云われる木と紙、草、土でできた古い民家を大切に現在まで守り抜いてきたのは,その家の人およびその周辺の多くの人々の努力の賜物なのである。民家の保存を語る時、この事実をよく認識しなければなるまい。
 百五十年、二百年という古い民家は、ひとつの部落でもせいぜい一、二棟。それよりも古いものは各市町村でやっと二、三棟。三百年ともなれば県内でも数十棟位であろう。思いのほか数が少ないといわれるかも知れないがそれは家柄の古さと、民家の建築年代の古さを混同して伝えられるためである。このような民家の状態をみると、人はこう思うだろう。数多い民家のなかから、偶然に、運良く残ったのだろう、と。しかし、実際にはそうではない。二百年以上もの長い年月、風雨に耐えられる民家には、それにふさわしい立派な材木を使用しているのである。その当時に、それが可能であったのは名主階級あるいは上層の本百姓に属する人々である。現在では、いかにも小さ<て貧弱そうに見える民家が実は、それが建てられた当時においては村の中でもっとも立派な住宅だったのである。
 (初出・茨城新聞昭和49年(1973)8月18日掲載を加筆したものです。)

現地保存が原則

文化財としての保存

  保存には住む人の気持ち考えて
    改造に見るくらしのチエ
 
 古い民家を守る上で、もっとも大きな力は、現にそこに住んでいる人の、古い家に対する限りない愛着と、「結」の精神だ、と前に述べた。しかし、古い家をこわして家を新築したい。あるいは、開発のために家をこわさなければならない、という事態が起きてくる。そのような時には、別の力での保存を考えねばならない。国・県・市・町・村という公共団体によるもの、あるいは篤志家が個人的財源をもとにして民家を保存することも多い。
 民家が多数の人々の協力によって造られ、守られてきたという歴史からみても、これを公共団体の手で文化財に指定して保存することは当を得ている。ただし、この場合はその民家を残すことによってその地方独自の民家の移り変りをたどれるように、という目的がある。その点、個人がやる場合には、民家の選定が恣意的になりがちである。
 保存するには、その民家が建てられた当初の位置に残す、すなわち現地保存が原則である。
 現在建築する時のことを考えても明らかなように、建てるべき敷地の環境条件を無視することはあり得ない。だからもとの位置から移築された民家の建築的価値はだいぶ低いというべきであり、現地保存のための努力を充分に払わねばならないのである。
 けれども、どうしても現地保存が不可能な場合もある。そこで解体して移築、ということになる。このケースでは復元工事が伴う。木造の民家が百年以上もの間に、なんの改造もされないということはあり得ない。暗い寝部屋を明るくするために壁をとり除く、馬のいなくなった馬屋は物置になり。牛馬の飼料を煮たり炊事をした土間の「へっつい」は無用の長物としてこわされる。囲炉裏(いろり)には板か畳をかぶせて電気ゴタツをおき自在かぎも除かれる。風呂場はタイル張りになる、茅屋根にはトタンがかぷせられる、などの変化のいずれかはどの民家でもみられるであろう。文化財としての修理工事では、これらの改造の痕跡を綿密に調査して、その民家が建てられた当初の姿に復元する、ということが行われる。当初、天井がなかったことが判明すれば、天井は除かれる・・・。だから復元修理の完全に行われた民家ではとても現在の生活はできない。住んでいる人はその家を離れざるを得なくなる、と考えている人が多い。調査には快くよく応じてくれる人も、文化財指定はご免だという。これまでの経過をみればもっともな点もある。
 ここで、古い民家を今日まで守ってきたのはその家に住む人と、その周辺の人々の協力によるものだ、と前に述べた、その事実を想起すべきであろう。指定民家に引き続いて住みたいという希望があれば、復元修理もある程度のところで止めてよい。現代風な生活も享受できるようにする。建てられたままの古い民家などはあり得ない、ということは、その時代の生活環境の変化に合わせて家を改造してきたからにほかならない。だからこそ古い民家をこれまで持ちこたえることができたのである。あまりにも完全な復元に固執することは、かえって民家のありのままの姿を後世に伝えることを不可能にする。そのかわり、移築したものについては、建設当初の姿に徹底的に復元すればよい。これまではこの方法があまりにも強く表面に出すぎたきらいがある。古い民家を保存する方法はケースパイケースで考えればよいのであって、決して一つのやり方にこだわる必要はない。
 民家を数多く移築して公開する施設がある。川崎市立日本民家園、大阪府豊中市の日本民家集落博物館、金沢市の江戸村などが代表的なもので、いずれもたくさんの見学者を引きつけて好評を得ている。川崎の民家園には、もと笠間市片庭にあった太田家住宅が移築されている。主屋と釜屋が別棟になった、いわゆる分棟形式の民家で、十七世紀後半の建築とみられる、きわめて価値のあるものである。県内でも、水戸市の歴史館には茂木家住宅(もと牛堀町にあったもの・県指定文化財)が移築された。古河市の歴史公園には中山家住宅(もと岩井市にあったもの・県指定文化財)が移築中であり、金砂郷町の飛田家住宅(国指定重要文化財)も移築の予定である。解体修理された民家はまことに美しいものであるが、これらの民家園に移築された場合の決定的欠陥は、そこに生活の営みがないことだ。囲炉裏や「へっつい」から立ちのぼる煙や湯気は、柱・梁・建具・茅の表面に薄い膜をつける、これが建吻の腐朽をくい止めてきたのである。だから住み手のいない民家の傷みは早い。民俗的な伝承が失なわれるという点も残念である。しかしなにりも、代々たいせつに住んできた建物を手放すということは、家の人にとって決して気持ちのよいものではないだろう。やはり現地保存を原則にしたいものである。
 (初出・茨城新聞昭和49年(1973)8月22日掲載を加筆したものです。)